フランスの教会の世界遺産について〜世界遺産へ旅立つ前に

フランスの教会をめぐる〜世界遺産旅行ガイド
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パリの街並
 こちらではフランス共和国の世界遺産――特に教会関連の文化遺産についてご紹介していきたいと思います。ヨーロッパの中でも、様々な歴史的転換点の中心に位置し、またヨーロッパをめぐる様々な出来事に翻弄もされた国家であるフランス。その世界遺産をより深く理解するためには、フランスという国家そのものが持っている歴史的背景を知ることが不可欠なのではないかと思います。
 そこで、まずトップページではフランスにま
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 こちらではフランス共和国の世界遺産――特に教会関連の文化遺産についてご紹介していきたいと思います。ヨーロッパの中でも、様々な歴史的転換点の中心に位置し、またヨーロッパをめぐる様々な出来事に翻弄もされた国家であるフランス。その世界遺産をより深く理解するためには、フランスという国家そのものが持っている歴史的背景を知ることが不可欠なのではないかと思います。
 そこで、まずトップページではフランスにまつわる歴史的なエピソードをお話しさせて頂き、その上で個別の世界遺産について見ていくことにしましょう。芸術・政治といった各分野でヨーロッパを牽引してきたフランス共和国に関して、少しでも多くの情報を仕入れていきたいものですね。


◎フランスの歴史にまつわるエピソード
 〜72日間の政府――パリ・コミューン

 皆さんは、パリ・コミューンという政府の名前を聞いたことがあるでしょうか? 第二帝政期のナポレオン3世率いるフランスは、19世紀末の普仏戦争のおけるセダンの戦いでプロイセンに大敗しました。その後、ナポレオン3世が失脚して第三共和政へと移行してから対プロイセンへの降伏に進むわけですが、多大な犠牲を払ってパリ包囲に対抗してきたパリ市民からすれば「政府の都合で戦いに巻き込まれ、また新しい政府の判断で得るものもないまま降伏する」という選択は許しがたいものだったのです。
 ついに決起したパリ市民は、第三共和政のティエール首班の政府を承認せず、1871年3月26日に革命政府パリ・コミューンを樹立したのでした。
 たった1都市を統治するだけの政府として生まれたパリ・コミューンは、非常に画期的な統治を行いました。世界で初めて女性参政権を認め、児童を夜間労働に従事させることを禁止して義務教育を無償化、さらには完全な政教分離までを実現。現代国家の統治システムを19世紀の時点で完成させてしまったのです。
 当然、プロイセンに降伏することを決めた第三共和政のヴェルサイユ臨時政府は、パリ・コミューンの存在を認めるはずがありません。結局、パリ・コミューンはフランス政府軍とプロイセン主導の北ドイツ連邦軍を相手にして、たった1都市で戦うことを余儀なくされました。
 最終的にはヴェルサイユ臨時政府の差し向けた軍隊に包囲され、プロイセンによって全物流を封鎖されたパリ・コミューンは大敗。最後の1週間には、7日間だけで3万人もの死者を出して崩壊。結局、5月28日にパリ・コミューンは消滅し、72日間だけの短命政府として、その幕を下ろすことになったのです。
 その後、パリ・コミューン兵士は片っ端から銃殺刑となりました。降伏した兵士までもが射殺され、さらには死体の埋葬も禁止。コミューンに参加した兵士たちの亡骸は、パリの街に転がされたまま雨ざらしにされたのでした。
 パリ・コミューンの72日間は「フランス市民の先進性」と「フランスという国家が持っていた権威主義」の狭間に存在した儚い奇跡のような出来事といえるでしょう。


以上、フランスの歴史にまつわるエピソードでした。この後のページでは、個別の世界遺産について見ていきたいと思います。



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